長崎の保育園|キャンディ理論 | 保育理念は子供自身の自立

社会福祉法人愛育会 幼保連携型認定こども園

120名の定員を誇る保育園です
Mission
Philosophy

保育理念

子育ての目的は「ジリツ」自立自律です。

長崎県佐世保市の保育園で子ども達の自立を促す

文章化ですので、ほんの一部しか伝えることが出来ませんが、当法人の理念をご確認頂きたく必ず読まれて下さい。
当方人の理念等制定の背景には、以下のこどもを取り巻く社会状況が、背景にあります。

①児童虐待の増加、高齢者虐待の増加
②家庭内DV、恋人DV、面前DV、ストーカー
③貧困・不適切な養育・連鎖
④異常犯罪、快楽殺人、少年犯罪
⑤責任感や倫理性の欠如、義務と責任を伴わない権利主張(ネット社会における匿名での他人攻撃誹謗中傷etc…)
⑥メディアの多様化、SNS、スマホ、LINEなど、ネット環境のインフラ整備の高度化による情報の氾濫 と 情報取得の極端な低年齢化

入所した幼児は(読み書き計算体操音楽音読)様々な(レッスン)を受けられる

①②③④⑤⑥に関して ⇒ 3年前、5年前、10年前、20年前を思い描いてください。ハイブリッド車と、TVの大きさと、スマホや携帯を思い浮かべて下さい。

パソコン・IT環境の台頭により、時代は加速をつけて変化し、時間や空間の幅は、広がると同時に、ある意味、狭くなりました。大人は勿論、子どもを取り巻く環境は、20年前(お母さんお父さんが子どもの頃)とは全く違います。

そして時代は変化を続けていきます。

将来、外国人の労働力参入と機械やPC、AIによる人員削減は進むものだと予測されます。しかし20年先の社会構造のハッキリとした予測は困難です。

入園したこども達は将来社会で活躍できる子に

だからこそ、子どもに対しては どんな社会がきても、その子が幸せな道を歩めるように、不幸にならないように、自分自身で仕事に取り組む力、仕事に取組みお金を稼ぐ力、お金を稼ぎ生活を維持していく力「魚の食べ方ではなく、魚の釣り方」を身に付けさせる必要があります。
これが「ジリツ」 自立⇒経済的独立  自律⇒自分をコントロールするです。「ジリツ」⇒ 自分の人生を自分の責任において生きること ⇒ 「覚悟」
子育ての目的は「ジリツ」自立・自律=覚悟です。

そして社会の潤滑油である挨拶、返事、恥、感謝、マナーを身につけることです。※最近は魚の食べ方どころか、口の開け方を教える風潮が、あります。

Policy

保育方針

佐世保市の保育園の中でも幼児教育に熱心な施設
1人ひとりの
子どもを大切に
子どもの健康な体づくりを証明します
健康な心と
身体づくり
経験豊富な保育士も在籍
親が安心して
預けられる保育園
Object

保育目標

子どもの「自立」のために、「自学自習の習慣」と子どもの「ヤル気」を引き出します

「心の力」
困難な壁にぶち当たっても、自ら乗り越えていこうとする「心の力」
「学ぶ力」
「教える」ではなく、自ら求め考えていく「学ぶ力」
「体の力」
健康の基本となる身体に、高い運動神経と体力を高める備える「体の力」
Vision

経営ビジョン

Big Smile , Big Love
ー 次世代へツナグ ー

青空(未知or未来の世界)へ、赤ちゃん(次世代)を送り出す。
その未知or未来の世界は、私達の現役(大人)世代の不断なる努力で
未来のために、汗をかけるものは、かいておく。(未来にツケは回さない))
「大きな笑顔と大きな愛が溢れる世界」で在り続ける必要がある。

子どもを取り巻く事業領域で時代(社会)の流れと
社会(時代)の要請をCANDYロジックに基づき
常に最善最適な事業経営を「次世代へツナグ」

Philosophy

経営理念

1:次世代へ「ツナグ」
未来を背負う子ども達の為、より良い、日本社会・世界社会を
次世代へ「ツナグ」
2:スピードを持った「カイゼン」
スピードがある「整理・整頓・清掃・清潔・習慣」5Sと
「環境の改善」を常に実施する
3:スタッフを「マモル」
スタッフを育て、守る
Mission

愛育会の使命

私達は自身の選択と運命の采配で、
愛育会という「社会の一部の役割」を担っています。
その「役割」に対し「全力を尽くす」ことによって
「社会をより良く」していくことが、愛育会の使命です。

私(愛育会)の活動信念は、本村洋さん(光市母子殺害事件被害者遺族)の以下の言葉に基づいています。

私が、このような活動や発言を行っているのは一つの信念からです。それは「社会をより良くしたい」というものです。人は1人では生きられない。社会という集団の中でしか生きていかざるを得ません。

しかもその社会は常に不完全です。しかしながら、それぞれが与えられた社会的な立場の中で最適な活動を行っていくことによって、社会は少しずつ良くなっていく。部分的な「最適化」の積み重ねによって全体が改善されてゆく、そのような構造なのだと考えています。

奇しくも私には犯罪被害者遺族という立場が与えられました。私の家族は犯罪の犠牲者という立場でその一生を終えました。この現実と対峙したとき、私が被害者遺族という立場で行動することが社会人としての責任だと思いました。

★引用元 光市母子殺害事件 ★著者 本村洋 宮崎哲弥 藤井誠二